2022年1月2日,3日に行われる箱根駅伝に20年連続80回目の出場となる鉄紺の襷で知られる東洋大学で陸上競技部長距離部門の監督として箱根駅伝の総合優勝に3度も導いているのが酒井俊幸さんです!
調査をしていくと、実は素晴らしい経歴を持っていることがわかってきました!
そこで今回は酒井俊幸(東洋大監督)の現役がすごすぎる!若い頃の自己ベストがヤバい!と題して現役時代の経歴をまとめていきたいと思います!
酒井俊幸(東洋大監督)の現役がすごすぎる!
東洋大学の酒井俊幸監督の現役時代は非常に優れた選手だったようです!
自著『怯まず前へ 常に結果を出し続けるチームと強い心の作り方』に記載されているプロフィールには
1976年福島県生まれ。学校法人石川高等学校卒業後、東洋大学経済学部に入学。大学時代には、1年時から箱根駅伝に3回出場し、4年時にはキャプテンを務めたが、貧血や度重なる故障に悩み、4年時の箱根駅伝は欠場する。大学卒業後、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社。2001年から2003年まで全日本実業団駅伝3連覇のメンバーとして貢献。V2、V3のアンカーとして胴上げも経験、強豪となったコニカミノルタを支えた。
引用:自著『怯まず前へ 常に結果を出し続けるチームと強い心の作り方』(2019年11月ポプラ舎より出版)
と記載されています。
学生の頃は1年生から箱根駅伝に出場し、4年生ではチームのキャプテンを務めるなど、非常に期待されていた選手でしたがプレッシャーに弱いタイプだった(当時の監督談)こともあり、持っている力を十分に発揮しきれなかったところがあったようです。
しかし大学卒業後入社したコニカ(現在のコニカミノルタ)で持っている力を十分に発揮し、エースではないものの優勝の影の立役者と言われるほどの選手となり、三連覇を果たした中の2002年、2003年はアンカーを任されています!
酒井俊幸(東洋大監督)若い頃の自己ベストがヤバい!
コニカの実業団駅伝三連覇を支えた酒井俊幸さん(東洋大学監督)なので、きっと自己ベストも素晴らしいのではないでしょうか!
自己ベストを探してみましたが、具体的なタイムについて見つけることができませんでした。
見つけられたのは学生時代の箱根駅伝の結果のみでした。
1年生の1996年第72回大会は3区を走り区間11位、2年生の1997年第73回大会は7区で区間12位、3年生の1998年第74回大会では1区区間13位、4年生のときは主将を務めましたが、度重なる怪我の影響もあり欠場しています。
任せられてきた区間はどれもチームに勢いをもたらしたり、流れを変えることを求められたりする難しい区間でした!
そこからも期待値の高さが感じられますよね!
それらの経験が社会人となりコニカ(現在のコニカミノルタ)に入社してからアンカーを任せられたりするところまで成長させてくれたのではないでしょうか!
まとめ
以上酒井俊幸(東洋大監督)の現役がすごすぎる!若い頃の自己ベストがヤバい!と題して現役時代の経歴をまとめてきました!
具体的なタイムが見つけられなかったのが残念ですが、実業団駅伝では鼻血を出しながらもアンカーとしてトップでゴールテープを切るなどの逸話もみつけられ、そんな監督が率いている東洋大学はどうなのか、と学生駅伝にさらに興味が湧いてきました!
端正な顔立ちで現役時代から人気の高かっただけでなく、選手としての実績も申し分のない酒井俊幸さんが今後どのような強いチームを作っていくのか楽しみです!