2020年11月30日からNHKの朝ドラ「おちょやん」がスタートしました。
「おちょやん」の主人公竹井千代のモデルは、昭和の名女優の浪花千栄子さん。
「おちょやん」放送開始後、浪花千栄子さんの幼いころが貧しくて可愛そうと話題になりました。
実際、浪花千栄子さんは貧しい家に生まれ、その後もすぐに女優になったわけではなく、壮絶な生い立ちを歩まれました。
この記事では、おちょやんのモデルの大阪生まれの浪花千栄子さんの生い立ちについて、また極貧生活についてまとめてみました。
朝ドラ「おちょやん」の竹井千代のモデルは浪花千栄子
朝ドラ「おちょやん」の主人公は竹井千代のモデルは、昭和の名女優の浪花千栄子さんです。
- 浪花千栄子(なにわ ちえこ)
- 本名は、南口 キクノ(なんこう きくの)
- 明治40年11月に南河内郡大伴村大字板持(現在の富田林市東板持町)で出生
- 8歳で大阪市内に女中奉公に出るまで富田林市で過ごす
- プロダクションの新人募集に応募したのをきっかけに、演技の世界へ
- 所属先との不和や夫で喜劇俳優・脚本家の渋谷天外氏との離婚など、苦労を重ね続ける
- 大塚製薬「オロナイン軟膏」の広告に抜擢され、一躍注目を集める
- 1973年12月22日に消化管出血のため死去。66歳没
主な出演作
- 『お父さんはお人好し』が長寿番組となり、映画化もされた
- 『祇園囃子』で茶屋の女将を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞
- 『夫婦善哉』
- 黒澤明の『蜘蛛巣城』
- 内田吐夢の『宮本武蔵』
- 小津安二郎の『彼岸花』など
浪花千栄子の生い立ちが壮絶すぎた!極貧生活がヤバい!
それでは、おちょやんこと浪花千栄子さんの壮絶な生い立ちを紹介します。
浪花千栄子の富田林での極貧生活
「おちょやん」第一話の放送後から、「おちょやんの生家が貧しい」「生きるのに大変でかわいそう」と話題になっています。
明治の末に養鶏業を営む家に生まれた浪花千栄子さん。
浪花千栄子さんが育った生家について見ていきましょう。
浪花千栄子さんの生家のモデルがこちら。
ドラマのために建てられたセットのため、現在は取り壊されていますが、
同時期の都市部の民家と比べるとかなりの貧困の様子を伺うことができます。
浪花千栄子さんが生まれ育った、南河内郡大伴村大字板持(現在の富田林市東板持町)の地図はこちら。
大阪の中心部から離れた地域で、大阪の地域でいうと「南河内」と呼ばれるエリアになります。
現在でも、田園風景がひろがり、大阪の中でも自然が豊かなエリアです。
浪花千栄子さんの父親は、ここで養鶏業を営んでいました。
農地を持たない父親は、卵の行商として生計を立てていましたが、
板持の中でも最も貧しい家だったそうです。
ほそぼそと暮らしていましたが、千栄子が4歳の時に母が他界。
その時から千栄子の生活は一転しました。
父親の再婚と道頓堀の仕出し屋への奉公
父親が行商で不在になると、千栄子は弟と2人。小さい千栄子は弟の面倒も見なくてはいけませんでした。
そのため小学校にも行けずに疎外感を感じていたそうです。
その後、父親が後妻を迎えますが、継母に好かれなかった千栄子はわずか8歳という年齢で道頓堀の仕出し屋に奉公へと出されてしまいます。
今の時代に奉公ということは考えられませんが、当時は口減らしという理由で幼い子供が奉公に出されることがありました。
千栄子はまともに小学校も出ていないため、文字の読み書きも苦手だったそう。
そんな壮絶な極貧生活にも負けずに、芸の道に邁進するようになった千栄子。
極貧生活で培われた忍耐と努力により、千栄子は国民的女優になれたのかもしれませんね。
おちょやんが貧しくてかわいそうと話題
ネットでは、「おちょやんがかわいそう」と話題になっています。
貧しい家に生まれ、奮闘する主人公に感情移入してしまいますよね。
おちょやんを応援する声が沢山上がっていました。
今後この貧困からどうやって抜け出していくのかが、朝ドラの見どころですね!
まとめ
この記事では、浪花千栄子の生い立ちが壮絶すぎた!おちょやんのモデルで極貧生活がヤバい!についてまとめてみました。
コロナ渦で始まった新しい朝ドラは、明治から昭和の激動の時代を駆け抜けた浪花千代子さんがモデルとなっています。
貧しさに負けない強さを持つ浪花千恵子さんの奮闘する姿を応援していきたいですね。
「おちょさん」から毎朝目が離せません!