選手時代一泊銃数万円する高級ホテルを家として生活をしており、車も複数台台所持していたことがあるほどのセレブな新庄剛志さんですが、子供の頃は超貧乏だったそうです。
そこで今回は新庄さんの著書『わいたこら。』を基に生い立ちから超がつくほどの貧乏生活についてまとめていきたいと思います。
新庄剛志の子供の頃は超貧乏だった!
超がつくほど貧乏だった新庄さんですが、家族構成は父・母・姉の4人構成です。
お父様は造園業を営んでおり、全とにかくお酒が好きだったそうです。
全く収入がなく貧乏だったわけではなく、もしかしたらお酒などに使い込んでしまって、お金が残らず貧乏だったのかもしれません。
新庄剛志の子供の頃は超貧乏だった!エピソード①朝ごはんがない
新庄剛志さんの超貧乏だったエピソードの一つとして、朝ごはんがなかったという話があります。
うちには朝ごはんというものがなかった。・・・だから毎日、学校に行って給食を思いっきり食べていた。 で、晩飯のおかずは、ゆで卵1個。親父は特別に2個。
引用:わたいこら。
この他にも一人前のラーメンをお姉さまと二人で分けて食べていたというエピソードもありました。
朝ごはんについてはお母様が低血圧で朝起きることができなかったということもあったようですが、それにしても夕飯がゆで卵1つやラーメンを二人で分け合って食べるというのはなかなかなエピソードですね。
新庄剛志の子供の頃は超貧乏だった!エピソード②窓ガラスがなかった
新庄剛志さんの超貧乏だったエピソードは他に、家の窓ガラスがなかったという話があります。
『家の窓ガラスが割れても、入れ直すお金なんてなかったから、冬はビニール袋をはって窓をふさいでいた。 なぜか、クルマの窓も同じようにビニールをはっていた。「なんでうちだけ、クルマが走るときにパタパタ音がするんだろう?」と思っていた。』
引用:わたいこら。
今でこそ笑い話として話をしていますが、なかなかなエピソードですよね。そういったところからもハングリー精神を養っていったんでしょうか。
新庄剛志の子供の頃は超貧乏だった!エピソード③野球グッズを買ってもらえなかった
小さい頃から野球をやっていた新庄剛志さんですが、野球グッズが買ってもらえなかったということです。
『スパイクはもちろん、まともな運動靴なんか買ってもらえないし、野球の練習は学校の上履きをそのまま履いてやっていた。
引用:わたいこら。
あんなのを履いてハードな練習をしていると、すぐにゴムがブヨブヨになって、運動どころじゃなくなる。』
『あんまりかわいそうだと思ったのか、プーマの運動靴を買ってくれたのを思い出す。
小学生のとき、運動靴を買ってもらったのはそれっきりだったから、超嬉しくて今でもよく覚えている。』
さらに高校時代に手袋なしでの練習は限界だ、となりお父様に手袋を買って欲しいと初めて頼み、二つ返事で買ってもらったことがあったそうです。
後に分かったことですが、新庄さんへ練習用レザーグローブを購入するため、お父様が仕事で使う手袋の購入をせず、その分のお金で新庄さんの手袋を購入をしたそうです。
お父様と新庄さんの素敵なエピソードですね!
練習道具も買うことができず、十分な環境とは言えない中でも練習に打ち込み、後に野球界を代表する選手にまで成長したのはお父様への恩返しも含まれていたのでしょう!
まとめ
以上、『新庄剛志の子供の頃は超貧乏だった!生い立ちがすごすぎるエピソード3選!』としてまとめてきました。
現役時代が非常に華やかな行動が目立った新庄さんだったので、非常に驚くことばかりでした。苦労した分努力をすることができ、努力することができたのでそれに見合ったお金が手に入ったのかな、とも考えられるものでした。
その大変さを感じさせないところが新庄さんの凄さであり、周りから慕われる所以なのではないでしょうか。
今後の活躍も応援しています!