2021年11月1日より放送の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」。
さだまさしさん演じる平川唯一は、実際にあったNHKラジオ英語講座の講師平川唯一さんがモデルとなっています。
この記事では、「カムカムエヴリバディ」モデルの平川唯一!カムカムおじさんの生い立ちや経歴についてまとめていきます。
「カムカムエヴリバディ」モデルは平川唯一!カムカムおじさんと言われる理由!
「カムカムエヴリバディ」モデルは平川唯一さんです。
実際にあったNHKラジオ英語講座の講師として一世を風靡しました。
平川唯一さんが「カムカムおじさん」と呼ばれる理由は、人気ラジオ英会話のテーマ曲から由来します。
ドラマ名にもなっているのカムカムエヴリバディという言葉は、そのNHKラジオ英語講座のオープニング曲のタイトルからきているのです。
1946年2月に平川唯一さんを講師にNHKラジオ英会話がスタートしました。
そのラジオ番組は「証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)」のメロディーに乗せて「カム〜♪カム〜♪エヴリバディ〜♪」という歌詞のオープニング曲から始まります。
このオープニング曲が聞こえると老若男女がラジオ前に集まるほどの人気ぶりだったそうです。
文法から入る従来の学習方法ではなく、赤ちゃんのように口真似から入る英語は「カムカム英語」として親しまれ、同様に講師の平川唯一さんも「カムカムおじさん」と呼ばれるようになりました。
「カムカムエヴリバディ」モデルの平川唯一の生い立ち
「カムカムエヴリバディ」モデルの平川唯一の生い立ちを見ていきましょう。
明治35年2月13日に岡山県岡山県津川村(現・高梁市)にて誕生します。
両親と兄の4人家族で農家を家業としていましたが、父親が商売に挑戦するも失敗し多額の借金を抱えることとなります。
そのため中学校進学を諦め、小学校を卒業と同時に家業の農家を手伝い始めます。
とても真面目で、休みもほとんど無い状態で働き続けていたようです。
そんな中、父親が出稼ぎのためアメリカへと渡ります。
なかなか帰国しない父親に連絡をすると「アメリカへ来ないか」と誘われ、16歳の時に兄とともにアメリカへと渡ります。
渡米後はアメリカ・オレゴン州ポートランドで線路の作業員などをし、その後シアトルに移り、日本人が経営している商店で働きます。
しかし半年が過ぎた頃、アメリカで生きていくには英会話が必要だと気づき、英会話習得のため仕事を辞めます。
17歳の時にシアトルの小学校に入学。8年制の小学校を飛び級し3年で卒業します。
その後高校・大学と進学します。
ワシントン大学では物理学を専攻。
成績はあまり良くなく2年生の時に「演劇科」へ転向します。
小劇場で開催された舞台「ペール・ギュント」に初出演。昭和3年に平川唯一さんは演劇科を首席で卒業しました。
進学を諦め働き詰めの日々と苦労をした平川唯一さんですが、もともと優秀な方であったのでしょう。
当初はABCも知らないほどでしたが、渡米後の12年で演技ができるほど英語を習得出来たのは平川唯一さんの真面目さと父親譲りのチャレンジ精神があったからではないでしょうか。
「カムカムエヴリバディ」モデルの平川唯一の経歴
昭和6年 ワシントン州立大学演劇科を卒業。
昭和12年 NHK国際部にチーフアナウンサーとして8年間勤務。
終戦時の玉音放送を英訳し、国際放送を朗読したのは平川唯一さんです。
昭和21年から5年間NHKラジオ英会話の講師を担当しカムカムおじさんという名で親しまれました。
退任後は俳優として日米合作映画「運命」に出演しました。
昭和26年12月25日からはラジオ東京(現TBSラジオ)及び文化放送で昭和30年7月まで「カムカム英語」というタイトルで英会話講座を続けます。
その後は世田谷の自宅でカムカムクラブを開き英会話の普及に努めました。
昭和32年 太平洋テレビに迎えられ、翻訳部長を経てその後副社長となる。
昭和51年 勲五等双光旭日章を受章。
平成4年 大学英語教育学会(JACET) 特別功労賞を受賞。
平成5年 91歳で逝去。
まとめ
「カムカムエヴリバディ」のモデルとなった平川唯一さん、通称カムカムおじさんの生い立ちや経歴について紹介しました。
日本に英会話を広めた第一人者と言われている方ですが、今回の朝ドラ同様本人も激動の人生を送られていました。
NHKラジオ英語講座が放送されていた当時「カム♪カム♪エヴリバディ〜♪」の曲が流れると、日本中の老若男女がその明るい声とユーモア溢れる語り口に励まされたそうです。
「カムカムエヴリバディ」という朝ドラタイトルには、戦後の笑顔を忘れてしまったような日本を、元気に明るくしたいという平川唯一さんの願いが受け継がれています。
この合言葉は戦後を生き抜いた人々を元気付けたように、今を生きる私たちの朝を励ますものになりそうですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。